なお、誰も見ていないようでありますです。
だが、もし誰かがたまたま見ていたら、
この ―レガシー †古の遺跡のようなブログ†を見るのも、何か寂しいものがあると思うのだ…フッ(՞ةڼ◔)
―私は、見ている本人を見ない限り、見られているのかどうなのかわからない。
これを、シュレディンガーの読者と名付けようと思う。
だが、我々が"見ていない物"を波だと実感できないように、読者の有無など、分かりはしないのだ…。
そう、それはひも状の素粒子のように、冬場の痩せ肉の者のように、あるいはひと昔前の洗濯機のように―